前回のブログでご紹介した100歳の方が、人生を記したものをご紹介いたします。
大変な時代を生き抜いてこられたことがうかがえます。
平成26年5月24日 天満町天寿会 五十年の絆より
「白寿に寄せて」
大正、昭和、平成と三世紀を生きてきました。想えば色々な出来事がありました。
私の人生を左右した出来事は、先の大戦でした。昭和十七年から終戦まで、大村にあった21海運航空廠に配属され運用機の生産にあたっていましたが、十九年頃から空襲が激しくなり多くの同僚、挺身隊の方々が犠牲となりました。そして原爆、身内探しに浦上へ、終戦。
よく生き延びたと思います。生涯のなかでも、「激動の昭和」は「戦争、結婚、子供の誕生」と鮮明な記憶として残っています。
戦時中、戦後は苦難の日々と生活苦でしたが、その後は孫たちに囲まれ日々穏やかな生活が訪れました。
人生の中では、生死を左右する出来事がありますが、八十歳の頃、腎臓の摘出手術を受け、幸いにも悪性ではなく、この歳まで寝込むことなく元気で過ごしています。今は城見町にあります「特別養護老人ホームしろみ」で余生を送っています。
車椅子も使用せず、自分の足で歩き、ホームの運動会、餅つき等に参加し元気です。数日置きに息子が訪れ食事の介助をしてくれます。自分で食べることも出来ますが、好きなものだけを食べるため注意してくれます。私生活の教訓は「腹七分暴飲暴食は病のもと」と歩くことです。
九十三歳の頃には、大村の池田湖まで歩いて行きました。(徘徊して家族に迷惑をかけた事)
来年は白寿です。これからもお迎えが来るまで元気に長生きします。天寿会の皆様のご健康とご多幸を祈願し、お礼の言葉とします。
このような時代を生きてこられた方がいて、今の私たちの生活があることに感謝します。